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| いらっしゃいませ 商品は主に熊野灘、太地沿岸で捕獲のクジラ、 日本沿岸捕鯨での鯨類、調査捕鯨の副産物等、 ミンク鯨 ザトウ鯨 マゴンドウ鯨 マッコウ鯨 ニタリ鯨、 イワシ鯨などの新鮮な鯨肉を当加工場で製造加工しております 鯨製品の多さなど太地の鯨は本当にオイシイですヨ! |
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ショーケースの中は色々な 鯨製品でいっぱいです! 当店は太地町や隣町、勝浦温泉の 土産店、旅館、ホテル、鮮魚店等に 幅広く商品を卸しております。 全国の料理屋さんにも多数直送しております |
| 商品はこのような状態で お届け致します 右の画像は、見本です 本来は、きれいに整頓 の上発送致しております |
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追い込み船です。 当店の目の前から早朝にいさなの 追い込み船団13隻がゴンドウ鯨の 追い込みに出港して行きます。 追い込み期間は10月から始まり 年明けの4月いっぱいですが 頭数が決められております。 |
| 熊野灘から太地の畠尻湾に捕獲された ゴンドウ鯨です。 オキゴンドウ ハナゴンドウ マゴンドウなどの種類が捕獲されていますが 全て水産庁より頭数が決められています。 |
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小型捕鯨船です 5月からは太地港より3隻の 小型捕鯨船が沿岸捕鯨にでます。 やはり水産庁の厳しい指導の もとで頭数が決められています |
| くじらの町太地町は水産庁の厳しい指導のもとで、日本でも唯一の沿岸捕鯨を行ない、今では大変貴重な 鯨を捕獲しております。当店も古式捕鯨いさな(勇魚)捕り(いさなは鯨の古名)の時代より鯨に携わり 300年の歴史が経ちました。(〆谷姓の由来は鯨を刃刺で〆る重要な役目を与えられていたからです。) 又捕獲された鯨は新鮮なまま当加工場で生鮮鯨製品として商品化し、平成11年1月21日より インターネットで販売も開始。全国に直送致しております。 |
| 太地の歴史は古く孝謙天皇の天平勝宝6年(756)遣唐使・吉備真備が帰朝の際、「牟漏崎(現在の燈明崎)に帰着 した」との記述が続日本紀に見え、孝徳天皇の大化2年(646)に太地は木の国牟婁郡神戸郷に属し、その後、 熊野三山を統括する熊野別当が勢力をもつにいたって那智荘に、また元和5年(1619)、奥熊野の大半を領有 した新宮藩水野氏の治下に属しました。 明治21年の村制実施に伴い、明治22年4月1日太地村と森浦村の両村を合併して太地村と称し 捕鯨事業やマグロ漁業など、海外発展への盛況を見せ、人口の増加と共に、大正14年4月1日より町制が 施行され太地町として今日に至っています。 |
太地浦の捕鯨
| 現在捕鯨は厳しい状況にさらされています、動物愛護としてのクジラという見方の方が 強く叫ばれていますが、今から20年位前までは、鯨は日本人の貴重な動物蛋白源でありましたし、 和歌山県新宮市が産んだ文豪、佐藤春夫も昭和11年(1936年)に発表した「勇魚とり」で、 角右衛門頼治を「捕鯨中興の祖」と讃えると共に「捕鯨の事業に至っては海の幸の筆頭であらう」 と述べております。更に、江戸時代においては「クジラ一頭で七浦がうるおう」と言われておりましたし、 元禄の頃は5代将軍徳川綱吉の世で、「生類憐れみの令」により、 現在とは比較のしようがないほど生物に対する殺生は出来ない厳しい状況でしたが、 それでも捕鯨事業は藩より保護され、朝廷や幕府に御用鯨肉を献上して、 そこでは正月には無くてはならない料理でした。 それゆえ、捕鯨に携わる者は誇り高い人々でもあったのです。 |