▼ふるさと今昔/燈明崎の桜並木
現在のテニスコート付近から、中学校方面にかけて、桜並木が続いていた。
第2次大戦中に、米軍の目標になりやすいとの理由で、伐採され畑に変わった。
中学校へ続く道路のそばにたつ、数本の桜の樹が往時を偲ばせる。
▼ふるさと今昔/梶取崎入り口に並ぶバス
平見地区の道路改修工事が、昭和34年に完成し、大型観光バスが燈明崎や梶取崎まで乗り入れられるようになった。
遠足シーズンになると、近隣の小中学生を乗せた貸し切りバスがよくやってきた。写真は、クリーム地に青ラインの
吉野熊野交通のバス。同社はその後、奈良交通に事業を引き継ぎ、現在は、町営循環バスが運行している。
▼ふるさと今昔/太地小学校全景
昭和11年講堂が完成したときの記念写真。土俵、
2階建て校舎など往時を偲ぶことができる。プールは昭和43年の完成。
▼ふるさと今昔/燈明崎遠望
現在と比べても、海岸線に変化は少ないが、陸上の風景は大きく変貌しているのが分かる。
燈明崎先端付近の大きな建築物は、中学校。左手は、落合記念館である。
磯は手前より、神の浦、水尻(みいしり)、ひよけ。
▼ふるさと今昔/デーカイタ
戦後に復活したもの。オールドファンには鯨踊りではなく、デーカイタの方が親しみやすいという。
現在の鯨踊りと比べると、踊り手の間隔が狭い、綾棒を持つ手がくっついているなどの特徴が分かる。
▼ふるさと今昔/セミクジラ
セミ鯨の捕鯨に沸いている(大正時代の写真)
宮様の前の浜に板を引いて作った解剖場に引き揚げられた、セミクジラ。
この写真は、太地の近代捕鯨の初期を表す写真として、つとに有名なものである。
▼ふるさと今昔/マゴンドウくじらの群れ
マゴンドウ鯨の群れが太地の湾に迷い込んだ画像です。(昭和初期か大正時代の写真?)
フンドシ姿の鯨捕りが総出でくじらを捕らえています。見物人も大勢です。